大阪大学文学部紀要, Bände 10-12大阪大学, 1963 |
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Seite 116
... 信仰である.それは心情に感じられる神であって,理性によってとらえられるものではない.」( La . 225 , Br . 278 )この断想が示すように,パスカルにとって真の信仰とは神を心に感じとることであって,理性によって論理的に証明されたものではなかった ...
... 信仰である.それは心情に感じられる神であって,理性によってとらえられるものではない.」( La . 225 , Br . 278 )この断想が示すように,パスカルにとって真の信仰とは神を心に感じとることであって,理性によって論理的に証明されたものではなかった ...
Seite 119
... 信仰のしるしを見たのである.かくて次のような述懐が生れるのである.「真のキリスト者は少い。しかも信仰に関して,私は敢て言う.信ずる者は可なりある.しかし迷信によってゞある。信じないものもある。その自由思想の故にである。両者の間にあるものは少 ...
... 信仰のしるしを見たのである.かくて次のような述懐が生れるのである.「真のキリスト者は少い。しかも信仰に関して,私は敢て言う.信ずる者は可なりある.しかし迷信によってゞある。信じないものもある。その自由思想の故にである。両者の間にあるものは少 ...
Seite 121
... 信仰であり,信仰の究極はこにある.次の断想は本章の結論と見ることができる.「すべてを愛をもって按じたもう神の御業は,宗教(信仰)を精神にうえつけるのに理性を以てし,心情のうちにおくに聖寵を以てしたもうことである.しかし宗教(信仰)を精神と心情に ...
... 信仰であり,信仰の究極はこにある.次の断想は本章の結論と見ることができる.「すべてを愛をもって按じたもう神の御業は,宗教(信仰)を精神にうえつけるのに理性を以てし,心情のうちにおくに聖寵を以てしたもうことである.しかし宗教(信仰)を精神と心情に ...
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